以下の記述は、主として、私が裁判官在職時代に20年以上先輩の裁判官や書記官から聞いた話なので、正確性はほとんどないと思って読み流して下さい。
戦前の裁判官の制服の根拠規定は、次のとおりです。
裁判所構成法
114条
1項 判事検事及ビ裁判所書記ハ公開シタル法廷ニ於テハ一定ノ制服ヲ著ス(あらわす)
2項 前項ノ開廷ニ於テ審問ニ参与スル弁護士モ亦一定ノ職服ヲ著スルコトヲ要ス
制服は、自費購入だったそうで、しかも夏用の絽(ろ)ないし紗(しゃ)のものも別に作る必要があったため、かなりの費用がかかり、初任給はそれで飛んだそうです。
私が山形の裁判所長であったときに山形新聞縮刷版で調べたところ、以下のようなことがわかりました。
山形市は、戦前2回の大火に見舞われ、明治44年の大火で裁判所も全焼し、保管していた裁判記録、裁判官の制服、法冠も焼けました。裁判自体は近くのお寺を借りて進行しましたが、制服、法冠までは準備ができず、ある裁判官の髪が薄いということがばれてしまったと新聞には面白おかしく報道されています。
この法律は、日本国憲法施行日である昭22.5.3に廃止されました。
裁判官などの制服に関する規定は特にもうけられませんでしたので、現場では、戦前の制服を着る裁判官、背広のままの裁判官など混乱があったようですし、また、裁判官のみが法壇に座ったままでした。
刑事事件では、開廷当初、弁護側から「裁判官も当事者と同様に法壇から降りるべきだ」という抗議が強くあり、その処理にかなりの時間がかかったそうです。
私が初任の京都地裁で使っていた陪審法廷(現在は立命館大学に移築。横浜地裁にあった陪審法廷は桐蔭学園に移築)の法壇はかなりの高さがあり、裁判官用の椅子に深く腰掛けると下に座っている被告人の全身は見えませんでした。その後法壇の高さは徐々に低くなりました。
裁判官の制服着用に混乱があったので
裁判官の制服に関する規則(最高裁規則)が昭24.4.1公布同日施行になりました。
裁判官は法廷では制服を着用するものとされ
規則には形状指定図があり制服の生地は黒一色羽二重とされました。
当時冷房のない法廷がほとんどだったので、法壇足下に水や氷水を入れたバケツを持ち込み素足を突っ込んで審理をしていてバケツをひっくり返して大騒ぎになった話や、冬期執務室の石炭ストーブに腕を伸ばしてあたっていて、制服の裾がストーブに触れて焦げてしまったという話も聞いたことがあります。
この羽二重の品質がよくなく、長く使っていると裾の折れ目がすり切れたりしてきましたし、急いで法廷に行こうとしてドアのノブに裾を引っかけて破いたり、法廷椅子のクッションに袖が挟まっていることを忘れて立ち上がり裾が破れたりしたので、かけはぎしながら使っていました。
その後平4に女性裁判官の制服が制定されたことは前のコラムに書いたとおりです。
弁護士 松田 清